前書き
多々良実装とシンゴジラのアマゾンプライム無料視聴化がほぼ同時だったせいで当時勢いのまま書いたデータを掘り起こしたので初投稿です。
※注意
ゴジラが出ます。
筆者はロボットの仕組みについてよく分かってません。
勢いで書いたデータなので誤脱字チェックしてないはずです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鉄は、雄弁だった。
打てば響く、とでも言うのだろうか。叩けばその音が、飛び散る火花の数が、その色が、その鉄の状態を教えてくれる。
もっと叩け。鉄が、語りかけてきた。渾身の気迫をもって、金槌を振り下ろす。その瞬間、多々良は己の未熟を恥じた。
力が籠りすぎていたのだ。いい塩梅を遥かに超えた金槌の一振りは、鉄を歪ませるほどにしたたかだった。
「やりすぎてしまったか……」
先ほどから、心がざわついて仕方がなかった。きっかけは、今朝の鬼王の宣言だった。
曰く、王の座をいずれは空けると。
曰く、自分に並び立つほどの力を持った者はいないと。
曰く、故に新たにその座に就くものはいないと。
曰く、鬼の力を信仰する時代は終わると。
温羅は、それだけを言ってその後何の問答も許さなかった。しかし、何もかもに納得がいかなかった。
王座に誰もいなくなる。そういうこともあるだろう。しかし、力を信仰する時代が終わるという言葉。それだけは納得ができなかった。
力を信仰する鬼たちの中にも、智に秀でた者はいる。特に、多々良は鉄の扱いだけを取れば鬼でも人でも並ぶ者はいないと自負していた。
今こそ、軽視され、隅で鍛冶や農耕に充てられてきた小鬼たちにも光が当たるべき時なのではないか。
多々良は、己の鍛えた金棒を担ぎ、駆けだした。まだ余熱も冷めきっていない、不格好なひしゃげた金棒だったが、構わなかった。それこそが、己の想いを最も雄弁に語ってくれる。そう思ったのだ。
駆ける。駆ける。王座。赤く巨大な、岩のような身体。咆哮が、腹の底から漏れ出ていた。
跳んだ。まだ熱を持ったままの金棒を、振り下ろす。温羅は、それを避けることもせず、受け止めた。
やったという感触はなかった。そもそも、金棒が当たっていたのかすらも定かではない。ただ、棒切れを虚空に振ったかのように、軽い感触だった。
視界の端で、何かが落ちた。なぜかそれが、自分の首だと錯覚した。落ちていたのは、金棒の根元から先だった。そこでようやく、金棒が折られたのだと気がついた。
「オマエ ナンノ 用ダ」
「お前を倒しに来たのだ! そしてワシの強さを証明してやる!」
「ナラ帰レ 勝負 ツイタ」
騒ぎを聞きつけて、他の鬼たちが集まってきていた。そして、各々が多々良のやっていることを理解すると、声を上げて笑った。
「笑ウナ 稽古ダ オマエタチモ 組手スルカ」
温羅が一喝すると、それだけで囲っていた鬼たちは徐々に姿を消していった。そして、多々良だけが唯一、再び温羅に挑みかからんと睨みつけていた。
再び、打ちかかる。温羅の動きは、鈍重だ。裏に回り、拳を数発、叩き込んだ。しかし温羅は、倒れるどころか怯む素振りすら見せない。
さらに二発、膝に蹴りを浴びせた。そして、そのまま正面から、水月へと拳を叩き込む。
およそ急所と呼ばれる場所は一通り打った。しかし、一向に重心すら崩れる気配が見えない。温羅はただ、多々良が満足いくまで、拳を受け続けていただけだった。
数刻ほど、殴り続けたか。多々良の体は、すっかり汗にまみれていた。それでも、もはや赤子の駄々も同然のような力ない拳を何度も打ちつけた。
「オマエニ フネ 用意シタ」
ひとしきり多々良に打たせた後で、温羅が言った。多々良は、動かない体でただ聞くことしかできなかった。
「オマエ 知恵 スゴイ ダカラ ヒトニ 学ベ」
温羅がそう言って海を指さした。遠くに、巨大な帆を張った船が見えた。体が、吊り上げられた。抗う力は、残っていなかった。そのまま、海へと投げられた。鬼の膂力で放たれた多々良の体は、そのまま島の陸地を超え、遥か海へと着水した。
泳ぐ体力すら残っていなかった多々良の体を、鋼鉄の鉤が引っ掛けた。そして、そのまま船の上へと担ぎ上げられる。
船の上では、人間たちが巨大な船を操り、動かしている姿があった。そして、何より目を引いたのは己を担ぎ上げたその鋼鉄の腕だった。
「この鉄は、自分で動くのか?」
細かな鉄が、複雑に絡み合っている。そして、それらが一体となって一本の腕となっている。
きっと、この細かな部品それぞれに、何か大きな意味があるのだろう。でなければ、このような複雑な構造を作る意味がない。この鋼鉄の義腕が、一本の金棒ではない理由がこの機構に凝縮されている。そう感じた。
「自分で、ではない。俺の意志を汲み、代わりに動くのだ」
「意志だけで、動くのか」
「正しくは意志ではないがな。俺が在りもしない腕を動かそうとした時、肩の肉がわずかに動く。その力を機構が増幅させ、鉄の腕が俺の腕の代わりに仕事をする。どうやら、そういう物らしい」
温羅が人に学べと言っていた理由が、それだけでなんとなく分かった。きっと、この力を使えば温羅にも勝てる。温羅と並び立つほどの力があれば、きっと認めてもらえる。
今まで、力のない小鬼はそれだけで軽視されてきた。その小鬼が王となれば、鬼の国は変わる。きっと、何かが根底から覆るはずだ。そういった予感があった。
「力を増幅……テコのようなものか?」
「学ぶには相当複雑だぞ、これは」
「鬼王を倒せるほど、強い力が欲しいのだ! ワシのような小鬼の力でも、機構で増幅すれば、鬼王と並び立てるかも知れん」
多々良の言葉にフックは歯を見せて笑った。
フックは、ほとんど使われていない倉庫へと多々良を招いた。そして、埃を被った木箱を取り出す。中を覗くと、錆の浮いた小さな鉄がぎっしりと詰まっていた。
「これは……機構の部品、なのか」
「そうだ。かつてはこの腕の一部だったものだ。痛んだ部分は取り換えるのだが、なかなか捨てられずにいた。おまえ、これで俺の腕を作ってみろ」
「この鉄くずの山から、その腕を作るのか?」
「そうだ。できないとでも思うか?」
「この鉄くずの全てに、無駄なものなどないのか」
ここにある全てに、無駄などない。全てが洗練された必要性の結晶。人間の、力がないが故に鬼を超えた英知の結晶。それが、多々良にはまるで宝の山のように思えた。
寝食など、いつ取ったかも曖昧だった。ただ、目の前の鉄くずに、没頭した。
最初に歯車という機構を理解した時など、飛び跳ねて喜んだ。円の中心の軸を支点に、テコが作動する。すると、次の歯が噛み合い、そこでもテコが生きるのだ。そして、やがて一周すると一度使ったはずのテコが再び活用される。
鉄の腕を、一つ作った。そして、分解し、組み立てる。
気づくことは数多くあった。紙やペンが手元になかったため、何十回も同じ部品を分解し、組み直し、頭に叩き込んだ。
組み立てた数が何回かなど、もはや分からなかった。やがて、船が陸に着くと多々良はいち早く船を飛び降りた。
これで、火をおこすことができる。鉄を溶かし、組み上げることができるのだ。
フックの腕は、小さな肉の動きを力に変えると言っていた。それが、小鬼と言えど、鬼の膂力を起点に作動する機構を作れば、どうなるか。
多々良の作った金棒は、体から繋がった鉄棒が肩の動きを増幅させ、金棒の先端へと伝える機構が備わっていた。
金棒を構え、振るう。その速度は、己の膂力を遥かに超えていた。これなら、遥かに巨大な鬼にも打ち勝てる。可能性は、確信に変わっていた。
しかし、その膂力をもってしても、人間との稽古では役に立たなかった。
機構に支えられた力は、機構のままにしか働かない。そして、単調な機構から繰り出される攻撃が見破られるまでに、大した時間はかからなかった。
力に勝る者を相手に、人間は技と知恵を磨いてきた。それが人間の強みだと海賊たちは言っていた。そしてそれこそが、きっと膂力と体躯で勝る温羅に勝つために必要なものなのだ。
「人間の技は、すごいな」
「しかし、技だけでは意味がありません。技とは力ないものが勝つために、仕方なく頼るものなのですから」
「でも、スミーは毎日のように鍛錬をしているではないか」
「ええ、同格の力を持った者には負けたくありませんから」
そう言って、スミーは再び木剣を構える。多々良は、己の作った機構付きの物ではなく、純粋な金棒をもってスミーに相対した。
突きが、飛んできた。予備動作など、まるで見えなかった。ただ突然飛んできた、と言った感じだった。
辛うじて、金棒で逸らす。そのまま体を回転させ、足でスミーの軸足を払う。
当たった。思うと同時、スミーが跳躍していた。鬼の目をもってしても、当たらない。そして初動が掴めない。
流れる水のように滑らかで、掴みどころのないスミーの剣は、相対するだけで積み上げてきた途方もない修練が伝わってくる。
この技を我が物にすれば、何かが変わる。希望と同時に、力に恵まれた鬼の体術では、到底及ばないという絶望もあった。
なまじ力に恵まれてしまった分、どこかで力を頼ってしまうのだ。相手の技を受けずに流れを掴む。その流麗なまでの技を、鬼の自分では体得し得ない。
スミーとの稽古は、五戦やれば四つは勝てる。しかし、どれだけ勝っても胸に残るのは苦さだけだった。
「もういいだろう。そこまでにしておけ」
やがて、船の上からフックが声をかけてきた。しかし、スミーの剣は止まらない。目は、はるか遠くを見ているように焦点が定まっていない。それでも、こちらの急所だけは見誤らずに打ち込んできた。
「聞こえていないか。意識を失っているな。寸止めは必要ない。目を覚まさせてやれ」
フックの言葉に、多々良は頷いた。単調だが殺意のある木剣を、足をほとんど動かさずに躱した。スミーの見様見真似だった。動きを抑えた方が、敵の隙を見つける余裕が生まれる。それは、やってみて気づいた。
「ほう」
フックが、小さく声を漏らした。きっと、上手くいったのだ。
踏み込む。突きを金棒で払いながら、そのまま腹を打った。スミーが転がり、やがて思い出したかのように荒い呼吸をした。
「技を盗まれたようだな」
「はい。力があれば、私ももう少し渡り合えたと思うのですが」
「鍛え方が足りんな」
「はい。精進します。多々良様、手合わせ感謝します」
スミーが、ようやく呼吸を整え、多々良に礼を言った。
「それだけの技をもって、まだ鍛えるのか」
「はい。力があれば、できることも増えるでしょうから。どんな技も、力で崩されたら意味がない。それはきっと、あなたも味わったことがあるでしょう?」
言われて、鬼たちとの組み手を思い出した。力と体格で勝る鬼たちに、素早い連打で挑んでも、いずれはその膂力で押し切られた。そして、温羅は同等の力を持った相手に対して技も使って組み伏せているように見えた。
機構をもって力で勝っても、技を失っては意味がない。そして、技だけがあっても力がなければそれもまた意味がない。
技と、力と、体躯。それら全てを補う機構。機構で体を覆う。そして、己の一挙手一投足の全てを強化する機甲。そんな理想論を思い描くと同時に、一つの仮説が浮かんだ。
ふざけた発想だと思った。と、同時にそれが答えだとも思った。
機構で、体の周囲を覆うように固めた。全身の動きの全てを増幅するそれは鎧であり、武器でもあり、そして、同じ体躯をもって温羅と相対するための挑戦状だった。
温羅と並び立つ巨躯の中心で、己自身が始動力となる。鬼の膂力をもって全ての動きの起点とする、その機構はフックをも唸らせた。
多々良によって『ヤシャオー』と名付けられたその機甲には、積み込めるだけの機構が積まれていた。全ては、温羅を倒すために。そして、自分自身が新たな王となるために。
かつて、鉄器が武器だった。それは、ただ頑丈で振りやすいだけの棒でしかなかった。それが、フックの教えを受け、鉄機となった。力に劣るものでも、叡智をもって力を得ることができる。それは、多々良にとって大きな衝撃だった。
そして今、鉄機は鉄鬼となった。
生まれつき体躯や力に恵まれない者でも、力を手にすることができる。その証拠として、この努力の証明として、そして力だけが全てではないと示すために。
この鉄鬼こそが、この島の頂点に立たねばならないのだ。
フックの船に積まれ、再び鬼ヶ島に到着すると、鬼たちが並び立っていた。
「いくぞ、ヤシャオー! 発進!」
声と共に、駆ける。並び立つ鬼たちなど、眼中になかった。ただ目指すはその中心。鬼王、温羅のみだった。
鬼たちが、立ちはだかる。金棒。受けずに流した。そして、そのまま後方へと投げる。試運転は、何度もした。体術の訓練も、連日のように行った。そして、寝る間も惜しんで組み上げたヤシャオーは、理想の動きを寸分の狂いもなく体現する。
これこそが、真に鍛えた私の体だ。叫んだ。叫びながら、鬼の群れを蹴散らした。
「王よ! 覚悟!」
「オマエ イイゾ!」
金棒で、二合、三合と打ち合った。力任せに押し切り、体勢を崩させた。温羅が、踏みとどまる。地に着いた軸足を、金棒で払った。
温羅の体勢が、いよいよ崩れた。そこに、ありったけの力で拳を振るう。全力、全開。拳に込めた力を、機構に乗せ、増幅し、打ち抜いた。
仕留めた。そう思った。拳に伝わった打撃の衝撃は、確信に至るには充分すぎるほどだった。
「オマエ 強クナッタ! オマエ エライ!」
それでも、温羅は倒れながらも金棒を振るった。その一撃が、胴体のコックピットを激しく揺さぶる。
温羅が、体勢を立て直した。追撃。再び、コックピットへの金棒だった。躱した。思ったが再び衝撃が走った。投擲だった。気づいた時には既に重心を保てなくなっていた。
避けようとして重心が揺らいだところを突かれた。転げ、一回転した。起き上がろうとした眼前に、温羅の拳が突きつけられていた。
「オマエノ ドリョク! ワシ 壊シタクナイ」
温羅の激励を聞いて、胸の内に熱いものが込み上げてきた。それが温羅にとって全力を出すほどの相手ではないということだと分かって、どうしようもなく悔しかった。
「オマエノ ブキ ココノ鉄デ作レ! オマエ モット 強クナル!」
温羅の言葉に従い、以前の鍛冶場へと戻った。以前と違うのは、自分以上の体躯を持った鬼たちから向けられる目が変わったこと。そして、なぜかスミーやフックが自分の隣にいることだった。
鬼ヶ島の鉄は、今までヤシャオーを組み上げるために使っていた鉄よりも遥かに上質だった。
硬く、しなり、曲がっても元の形に戻る腰の強さがある。それはここで採れた鉄を鍛え、この島の水で締めなければこの鉄の質は出せない。
わずかに弾性があり、いくら酷使しても折れることがない。そういった鉄こそ、機構を組むに相応しい。
何度だって戦える。何度だって負けられる。そして再び立ち上がり、改良を重ね、また挑む。それには、それだけの強靭さを兼ね備えた機構が必要だった。
温羅の金棒を受けたコックピット部分は、ひどくひしゃげていながら、機構への障害は一切なかった。
その力加減をする余力。それこそが己と温羅との間にある力量差なのだ。その認識は、なぜか自然と受け入れられた。
島に、羊皮紙を持ったマメールが現れたのは、それから一月ほどが経った後だった。
多々良と温羅は、今日も腕試しを行い、研鑽を重ねている。それ故に、マメールとの会談はフックが行うことになった。
「この近海でヴィランの活動が観測されました。そのヴィランは、今はまだ小さな体躯ですが、何度も進化を重ね、巨大な身体を持つようになる。と記述があります」
その報告を聞き、フックは海の方へと目をやった。ヴィランが迫ってきているという海も、今はまだ大人しいものだった。
「方角、距離、到達予測時刻などは分かるか。それから、現在の大きさと想定し得る最大全長もだ」
「最後に海上で観測されたのは東南東。それ以降、海の中に身を潜めています。生物であること、そして観測された事例が少ないことから予想をすることはかえって危険です。現在の大きさは、クロノダイルと同程度といったところでしょう。進化の法則もまた、記録によって違うのが現状です」
「ふむ、今までにないヴィランということか。名称はあるか。呼び名があると情報の伝達に多少は役に立つ」
「はい。大戸島という場所の伝承から引用し、名づけられた名前があるそうです。『呉爾羅』記録にはそのように記されていました」
「民話・神話の類か。そう言ったものの力は信仰の強さによって目星が付くそうだが」
「はい。日ノ本の者であれば、誰しもがその名を聞いたことがあると。そして、それは破壊の象徴だと聞き及んでいます」
フックは、それを聞いてすぐに温羅へと伝令を走らせた。強力なヴィランが迫ってきており、その体躯はクロノダイルよりはるかに大きいと予想されること。全長は不明。防衛の備えを作るように、と。
鬼たちの防備は、マメールが指揮した。鬼たちによる厄返しの構え。その魔術的な効果を、マメールの采配によって増幅する。それでも、なお撃退できるとは限らない。むしろ、マメールの言動から察するに時間稼ぎが関の山といった感じだった。
その中で、多々良は一心不乱に鉄を打っていた。その様子を見てもフックは、何も言わなかった。
職人というものは口うるさく何かを指図するよりも、その裁量に任せた方がいい結果を生むことが多い。故にフックは、多々良には何も言わず、その場を去った。
多々良は、ただ一心不乱にヤシャオーの体よりはるかに巨大な機構を組みあげていた。
なんとなく、それこそが呉爾羅を倒す鍵となるのだろうという気がした。
呉爾羅の姿が確認されたのは、一週間ほどが経過した後だった。
その日は、空こそは快晴だったが、波だけが妙に高い日だった。そして、まるで嵐のような波が嘘だったかのように海面が静まった数秒後、それが姿を現したのだ。
赤黒い、四足で這いずるように歩くトカゲのようなもの。そうとしか言い表せなかった。何かの目的の上で、この島を破壊しようなどとは考えていないように見えた。ただ、邪魔だから壊す。そういった単純な欲だけをマメールは感じ取った。
これが進化し、さらに巨大になったら、歩くだけで災害と化す。ここで止めなければならない。
マメールは、赤鬼たちを事前に決めていた配置に着かせた。上陸予想地点と実際に呉爾羅が姿を現した地点に、ほとんど相違はない。迎撃の備えだけはできていた。ただ、問題はこちらの万全の備えでも耐えきれるかという一点だった。
呉爾羅が歩くたびに、地が揺らぎ、砂煙が舞う。そして、波が逆巻いた。海から五百歩ほど離れた地点に赤鬼たちの築いた防衛線があった。
逆茂木などは全て取り払い、可能な限りの高度を持った小さく丸い防塁が築かれている。そして、その上には魔方陣をえがくように鬼たちが立ち、それぞれが厄返しの構えをもって身構えている。
厄返しの力を増幅する魔法陣がいくつも連なり、防壁を築いている。その姿は、この衝突に全てを賭けるというマメールの覚悟の表れだった。
「防衛準備。正面から来ます!」
赤鬼たちが、己の領地を蹂躙されることへの怒りを露わにする。その戦いを思い描き、憤怒の気を纏うのだ。
そして、後ろでは正面からの戦いに弱い、体の小さな青鬼たちが援護のために控えていた。
呉爾羅は、既に眼前まで迫っていた。大きさは、クロノダイルと同程度。正面から、突っ込んできた。
厄返しの陣が、受け止める。一瞬、防塁が揺らいだ。しかし、衝撃がそれぞれの赤鬼に分散し、瓦解までは至らせない。呉爾羅がさらに一歩を踏み出そうとする。
「赤鬼部隊、反撃開始。青鬼部隊、庇護の構え」
赤鬼たちが、受けた衝撃を呉爾羅へと跳ね返す。呉爾羅の動きが鈍った。青鬼たちが、赤鬼たちの返しきれなかった衝撃を肩代わりし、赤鬼たちが体勢を整えるための余力を作る。
呉爾羅が、こちらを敵として捕らえたのがはっきりと分かった。二撃目、三撃目とさらに畳みかけてくる。耐える。耐えながらも反撃の契機を探した。
攻撃を受けるたびに痛んでゆくのは、青鬼たちの体だ。糸を編んだ跡のような陣立てで衝撃を分散させているが、衝撃が減るわけではない。むしろ、無事な部分はなく、均等に負担を背負ってゆく。
しかし、痛んでゆくのは呉爾羅も同じだった。こちらの築いた防壁を叩くたびに、呉爾羅へとその災禍が返り、降り注ぐ。それ自身が歩く災厄として伝えられる呉爾羅にとって、厄返しの陣はまさにうってつけだろう。
決定打はなかった。しかし、瓦解もしなかった。無限に続くかのように思える鍔迫り合いが、目の前で展開されている。
指示を出すわけにはいかなかった。わずかな揺らぎで、全てが崩れるのだ。たとえ勝ちの目の見えない消耗戦だったとしても、始まったからには続けなければならない。
日没まで、攻防は続いた。前哨戦とするには長すぎた。緒戦とするにはあまりにも総力で挑みすぎた。
呉爾羅の血が、海をおぞましいほどの赤色に染めていた。あの血が、それを流すに至った傷が、一晩でどれだけ回復するのか。記述に無いことは、まったくの未知数だった。
そもそも、襲撃が昼だけだという確証すらない。こちらは夜の襲撃にも備え、交代で休まなければならないのだ。鬼たちがどれほど回復するのか。それが呉爾羅よりも早いか否かが全ての分岐点だった。
そして、歩く災厄として伝えられている呉爾羅だ。この程度で終わるわけがないという嫌な確信があった。
食事が、配られ始めた。見張りの交代も、時折行われている。あまりに日常とかけ離れた中でも、多くの鬼たちは横になり、休眠を取っている。
動じず、休むことができるのは鬼という種族の生来の特徴だろうか。どんな時でも休むことができる。それは、兵士として非常に優秀な素質だった。
そして、島の中心で吹きあがっている煙。これもまた、戦いの気配に動じることなく、今日も変わらずに煙を噴き上げていた。
煙を吹いているのは、多々良の管理する鍛冶場だった。それは、こんな時でも温羅が使用を許可させた鍛冶場だった。
鍛冶場は、多々良と、鍛冶に長けた数名の鬼たちだけで動いている。戦いの中でも変わらずに動いているのは、戦いで損耗した武具の補充という名目だった。
今はまだ、防御の戦いしかしていない。武具の損耗などはほとんどなく、備蓄も十分にある。それでも鍛冶場が動いているのは、温羅なりの考えがあっての事らしかった。
海岸線が、どうにも騒がしかった。
戦いが始まっているということは知っていた。その敵が強大であることも、知っていた。それでも多々良は、戦線に参列することなく、鉄を鍛え続けた。
何度も折り返しを重ねた鉄は、よりしなやかに、強固になった。それでも、多々良は満足できなかった。
これでは、温羅に対抗し得ない。現に、毎日のように温羅に挑んではいたが、勝てたことは一度もない。
足りないのは、機構か。きっと、工夫が足りいないのだ。強度だけで解決できる問題ではない、という気がする。実際、温羅にヤシャオーの腕を壊されたことなど、一度もないのだ。
温羅は、まだ全力を出していない。鉄の強度を上げるのは、あくまで温羅に全力を出させるためだった。
ヤシャオーを壊せる場面など、何度もあった。それでも未だに大きな改修もなく連日戦い続けていられるのは、温羅が全力を出し切っていないおかげだった。
そして、それが多々良を苛立たせる要因でもあった。全力の温羅を倒さなければ、意味がないのだ。そうでなければ、新たな王として胸を張ることなどできない。
「温羅を倒す、か。まだその全力すらも知らんというのに」
目の前にいる温羅を倒しても、その奥に隠された引き出しがある。この目で見てきた、自分の知っている温羅を倒したところでその奥から未だ知らぬ温羅が現れる。
何度か、勝てそうだと思えたことはあった。しかし、いつもその奥に秘められたさらに強い温羅に敗れてきた。あと、どれだけ温羅の化けの皮に勝てば、本当の温羅が見れるのか。そして、それに勝てるのか。
疑念は、深まるばかりだった。
そして、何よりも不安で仕方ないことがあった。それは、その温羅でも、あの呉爾羅には勝てないのではないかということだった。
最強に思えた。到底手が届かないように思えた。そして、底が見えないとも思えた。その温羅でさえ、底が見えているにしても、あれだけ強大な存在を前に太刀打ちできるのか。
できる、とは断言できなかった。
むしろ、呉爾羅に斃されてしまうのではないかという不安しかなかった。
それだけは許せない。温羅を倒すのは、自分でなければならないのだ。
温羅を守ろう。
その結論を多々良は自分で思ってた以上にすんなりと受け入れられた。温羅を守るための武具を作るのだ。それが温羅のまだ見ぬ力を引き出し、さらに強い温羅を生み出すこととなっても、構わない。
いずれ、強くなった温羅をも倒せばいいのだ。
全てを出し切った温羅を超えなければ、意味がない。多々良は、ヤシャオーに使っていたよりも、さらに巨大な鉄を用意した。
温羅の強大な体躯であれば、この程度問題ない。そう思ったのだ。
呉爾羅が再び姿を現したのは、最初の侵攻から二週間が経った頃だった。
あまりにも遅い再襲来。それは既に哨戒に倦んでいた鬼たちの心を揺るがすには充分だった。
温羅自身、心が緩んでいた節はあった。二週間も音沙汰がなかったのだから、この島を離れ、我々の手の届かない所に行ったのだろう。そうであればいい。そう願っていた。
片や、交代で見張りに付き、不規則な休息しか取れなかった者たち。片や海中で身を潜め、充分に休息をとっていた者。両者の備えはあまりにも対照的すぎた。
そして、何よりも特筆するべきは呉爾羅の体勢であった。這いずるように歩行していた赤黒い生命体は、その表皮を石炭のような黒く硬い表皮で覆ってた。
進化したのだ。その姿は、こちらの覚悟を揺るがせた。
二週間。その間に、鬼たちは装備を整えていた。投石機を三機、動かさせた。鬼の膂力で打ち上げられた石塊が、降り注ぐ。しかし、呉爾羅には動じた様子すらない。傷や出血すら、確認することができなかった。
緒戦と同じように、厄返しの布陣を敷いた。進化していようと、根本のところは同じ相手なのだ。
仮に想定外の進化をしていたとしても、想定外のものには対処のしようがない。ただ、予想もしていないことが起こるかもしれないということは常に考えていなければならなかった。
数回、ぶつかり合った。呉爾羅の力こそは増していたが、防げないほどではない。だが、こちらからの反撃は効いていない。長期戦ならば、やや不利だが耐えられる。
そんな希望を抱いた矢先だった。呉爾羅の背が、光を帯びた。嫌な予感がした。下がれ。陣形が崩れれば、立て直せない。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。
熱線が、走った。眼前が赤に染まる。何が起こったか、理解できなかった。ただ、すぐ脇の浜が割れていた。陣形ごと、跡形もなく浜が消えていた。
瓦解する。はっきりと分かった。ここで踏みとどまらねば、瓦解する。
「オマエタチ 踏ミ留マレ!」
温羅は、自ら矢面に立った。マメールが指示を出し、温羅を守るように陣形を立て直させてゆく。
犠牲になったのは、一割ほどか。もう一度あの攻撃が来たら、今度こそ鬼たちは立ち直れない。
しかし、あれほどの破壊力。そうそう容易く使える技ではない。容易く使えるのなら、すぐに使えばいいのだ。何度かぶつかってから使うのは、それだけ消耗が激しい証拠だと思えた。
鬼たちの組み直した陣は、温羅を中心に作られているがために、その負荷が一点に集中する。本家本元、その技を生み出した温羅による元祖の厄返しの構え。それを増幅し、さらに固めるような陣だった。
かつてのように堅固な陣ではない。むしろ、ほとんどその場しのぎに近い陣だった。
しかし、しのぎ切れば次がある。耐えるのだ。雄たけびを上げた。呉爾羅と、目が合った。同時に、尻尾が薙ぐように振るわれた。
腕で防ぐ。衝撃は、他の鬼たちが支えてくれる。痛みにさえ耐えれば、いくらでも立っていられる。
捨て身だった。それでも、次の戦いまで耐えるという可能性を捨てるよりは遥かにいい。
呉爾羅と、再び目が合った。通じ合っているという気がした。負けない。その決意だけを伝えた。呉爾羅が、ほんとうに受け取ったかは分からない。ただ、伝えた。それでいい。心はまだ、折れていなかった。
温羅の意志に呼応するように、呉爾羅の背が再び光を帯びた。まだ撃てたのか。そう思った。そして、今度は外してくれないだろう、とも思った。
厄返しの陣の中心で、呉爾羅と目が合った。完全に、ここが中核だと理解している。故に今度は当たる。それは確信に近かった。
不意に、鉄の擦れる音が聞こえた。フックの率いる船団が、近くまで来ていることにようやく気づいた。今まで、呉爾羅しか見る余裕がなかったのだと知り、自嘲した。
錨が、呉爾羅の体に巻き付き、引き上げられる。呉爾羅の顔が、揺れた。同時に、投石の指示を出した。呉爾羅の体が、さらに揺れ、倒れた。
光と熱が、炸裂した。水蒸気が、視界の全てを埋め尽くす。やがて風が吹き、霧が晴れた。呉爾羅は鎖を引きちぎっていた。呉爾羅の膂力で鎖を引かれ、制御を失ったのであろう。船同士が衝突し、転覆していた。
そして、未だ呉爾羅は戦おうとしていた。
化物め。言葉には出さなかった。出せば、絶望が波及し、崩れそうだった。ただ、胸の奥で罵っただけだった。
海岸線が、輝いた。
これで二度目だった。一度目は、下から切りあげるかのような一撃だった。その熱は浜を裂き、陸を裂き、空へと消えた。この鍛冶場に当たらなかったのは、ただ運が良かったと言うしかない。
ヤシャオーの改修は、済んでいた。そして、温羅のための装備も完成していた。鉄の持っていた熱も、すっかり冷めている。組み上げも済んだ。
温羅のために作った通常の4倍ほどの大きさのヤシャオーを、崖から転がした。そして、多々良は跳んだ。
呉爾羅。目が合った。鎖を巻かれ、倒れている。拳を握りこみ、振りかぶった。その動きに呼応し、ヤシャオーがまったく同じ姿で拳を構える。
呉爾羅が、ちょど起き上がるところだった。その膂力で鎖を放った船を振り回している。恐ろしい力だ。そして、だからこそワシが倒すに相応しい相手だった。
お前には礼を言わなければならない。おかげで、超えるべき相手がより強く、強大になった。そして、重ねて礼を言わなければならない。お前が容赦なく暴れるおかげで、ようやくその力の底を推し量ることができた。
だが、不満もあった。それは、その倒すべき相手を、超えるべき相手を、お前が倒そうとしていることだ。そして、温羅を超えた後に治めるべき国が、お前のせいでめちゃくちゃになっていることも、はらわたが煮えくり返るほど気に食わない。
だから、万感の想いを語るには足りなすぎる不完全な言葉だが、全部を込めて吐き出した。
「地獄に落ちろ! クソッたれーーーーー!!!!!」
拳を、振るった。呉爾羅の眉間に直撃した。それでも呉爾羅は倒れない。ただ、身じろぎするかのように怯んだだけだった。
それでも構わない。わずかでも時間を稼げれば、それでいいのだ。
「鬼王! それに乗れ! それは乗り手の動きを真似してそのまま動く。お前はいつも通りに戦えばいい!」
「ワシ モウ戦エナイ オマエ 乗レ」
「お前のための装備だ! ワシには使いこなせない! この小鬼の体躯には、この機体は合わないんだ!」
「オマエ ツヨイ ダイジョウブ!」
温羅は、深く穏かな声で言った。
不安だった。それでも、やるしかないと思えた。満身創痍の温羅になど、戦わせていられない。
それでも、多々良には、まだ勝算と言えるものがなかった。故に、頭を下げる。倒すべき相手と心に決めているからこそ、強大だと知っているのだ。多々良だけでは実力不足だと分かっているからこそ、懇願する。
「少しでいい。あと少しだけ、力を貸してくれ! 少しだけ時間があれば、あれを倒せるかも知れない」
「ワシ ワカッタ!」
温羅が、前に出る。そして、選択したのは生身での殴り合いだった。
呉爾羅の後ろを取るように回り、軸足を中心に叩く。それは以前、多々良が温羅の相手をした際と同じ戦法だった。
多々良はすぐに、メガヤシャオーの左腕を外し、肘から先を動かすための部品を全て取り払った。精密な動作範囲、必用ない。最低限殴るための腕の動きさえあればいいのだ。
鬼たちに指示を出し、メガヤシャオーの改装を手伝わせる。すぐに鬼たちが必要なものの調達に動き始めた。
温羅のために作った巨大なヤシャオー。温羅と同等の体格をもって相対するために作られたヤシャオーならば、搭乗において問題はないはずだ。操縦についても、おそらく問題はない。そのはずだった。
しかし、本当に動くのか。不安が胸を埋めていた。それでも、やるしかなかった。
搭乗し、ヤシャオーの四肢を巨大な鉄鬼へと連結する。多々良の四肢の力が、ヤシャオーに伝わり、さらに巨大な鉄鬼へと力を伝える。
鉄器は鉄機に。そして鉄鬼になる。己の心に突き立てた信念を、証明するには絶好の期ではないか。鬼王のために作ったこの鉄鬼を動かすことができれば、それは王の資質の証明になる。
メガヤシャオーの改造が、完了した。想定よりも、はるかに早い完了だった。温羅に、退却の鐘が鳴らされる。あとは、自分の仕事だ。鬼王ですら倒せなかったヴィランを、鬼王のために作った鉄鬼を操縦し、倒すのだ。
心が躍った。ヤシャオーと繋がった己の腕に、ありったけの力をこめる。ヤシャオーの腕を通じて、メガヤシャオーの重さが伝わってきた。
「動けええええええええ!!!!」
本来の体躯を遥かに超えた大きさのものが、動き出す。ヤシャオーに繋がれた腕が、軋むようだった。だが、動く。長くは動かせないだろう。それでも、戦える。鬼のために、鬼を代表して、戦える。
それが、たまらなく嬉しかった。
「メガヤシャオー!! 発進!!」
立ち上がった。今はもう、超えるべき壁など眼中になかった。ただ、目の前の災厄を見据える。
それは温羅よりもはるかに強大だった。それでも、温羅と対峙した時のような絶望はなかった。
体躯は、互角であった。
容赦も躊躇もなく、殴りつけた
呉爾羅の、鉄のような黒い外殻がボロボロと崩れ落ちる。おそらく、効いているとは言えない程度の傷だろう。しかし、完全に無傷ではない。であれば、重ねれば必ず倒せるのだ。
呉爾羅の尻尾が、足元を払うように振るわれる。避ける選択肢はなかった。鈍重すぎるメガヤシャオーの体を思い通りに動かすには、多々良の膂力が足りていないのだ。
ただ、どちらかが耐えられなくなるまで殴り合う。それだけだった。技や立ち回りなど、気にする余力はない。ただ、全力で腕を振り上げ、振り下ろすしかできなかった。
次第に、多々良が押されていた。今まで海の中で戦っていたメガヤシャオーの足が、既に波打ち際まで下がっている。それだけ、呉爾羅の膂力が強いのだ。
しかし、呉爾羅の外殻も崩れかけていた。腹の右側の黒色の層が剥がれ落ち、赤黒い肉が露出している。狙うのならば、そこだった。そして、狙うための算段は、既に立ててきていた。
左手を、振り上げた。それを合図に、転覆した船たちがガラガラと鋼鉄製の呻き声を上げる。
多々良は、未だ左腕を上げたまま直立していた。呉爾羅の打撃にも動じることなく、直立し続けた。
ここが、呉爾羅の墓だ。そして、このメガヤシャオーこそが呉爾羅墓標となる。だから、動くな。動けば、全てが狂う。ここに呉爾羅を埋葬するために、わしだけは一歩も動いてはならないのだ。
視界の端で、鬼たちの作った攻城弓がこちらに向かっていた。あと少しだ。あと少しで、全てが完了する。
呉爾羅の背中が、再び輝いた。喰らったら、ただでは済まない。それは、この島にいる者ならみんな分かっている。しかし、多々良は、動かなかった。メガヤシャオーは墓標だ。だから、動いてはならないのだ。
呉爾羅と睨み合った。その口の中に、圧倒的な熱量を溜め込んでいるのが見て取れた。近くで正対しているだけで、その熱を感じる。それは、赤熱した鉄と正対している時と似た感覚だった。
まだだ。まだ、早い。多々良の右腕が、自然と腰の横に据えられていた。最も赤く、熱くなった瞬間を叩く。鉄の声に耳を傾けるのと同じだ。難しくはないことだと思えた。
熱が、膨らんでいた。それと共に、空気が重くなっているような感じがした。呉爾羅の気が、満ちている。それがメガヤシャオーごと、多々良を圧し潰そうとしているのだ。
我慢比べだ。そう思った。踏み出したくなる気持ちを抑え、拳を振るいたくなる気持ちを抑え、ただ目の前のヴィランと睨み合った。呉爾羅の口が、開く。同時だった。右腕を振り上げた。
呉爾羅の顔が、上へと跳ねる。熱線が、虚空に放たれた。それを見て、左腕を振り下ろした。転覆しかけていた船から、錨が放たれる。呉爾羅の動きが、束の間、鈍った。
間髪を入れず、攻城弓が脇腹に突き刺さる。腹の、外殻が薄くなったところ。ちょうど突き刺さっていた。
呉爾羅が、倒れる。そして、その巨躯は、多々良の振り下ろした左腕の真下に転がった。左腕が、呉爾羅の体に突き刺さった矢を掴んだ。そして、さらに深く抉り込ませる。
「左腕、起動!」
矢を掴んだ左腕を、切り離す。肩と繋がっていた場所から、炎が噴出した。多々良が、それを見て後ろに下がる。
ヤシャオーに搭載されていた、ロケットパンチ。左腕の重量に比べて炎の推進力が弱々しいが、これで充分だった。
轟音。熱風。圧倒的な爆炎が、あたり一帯の全てを薙ぎ払った。
メガヤシャオーの巨大な左腕いっぱいに詰め込んだ火薬が、炸裂したのだ。
倒れた呉爾羅の体から、赤黒い血飛沫が上がる。砂浜から、歓声が上がった。それでも、多々良はまだ安心しなかった。
初めて見るヴィラン。記録の全てにズレがあること。そして、その生態は不明。ならば、やりすぎるということはない。
メガヤシャオーの身体には、自決用の火薬を仕込んであった。温羅の代わりに乗ると決まった時に、空いている隙間の全てに詰め込ませたのだ。
呉爾羅の倒れた場所に、メガヤシャオーを倒し、乗り捨てた。そして、距離を取る。砂浜から、温羅が焙烙を投げるのが見えた。再び、爆炎が上がる。
血飛沫は、それ以上上がらなかった。爆炎が止んだ跡には、赤メガヤシャオーだったものが散乱していた。
温羅との対峙は、長くは続かなかった。ヤシャオーに乗ることのない、素手での対峙だった。
温羅の身体は、どれだけ拳を打っても、痛んだ様子など見せない。どれだけ動いても、疲労したようにも見えない。
呉爾羅と対峙している時を思い出した。そして、やはり呉爾羅よりもやりにくいと思った。
温羅の拳が、服をかすめた。服を引かれ、体勢が崩れた。そこに、さらに拳が振るわれる。
「まいった」
「オマエ ヨクナッタ!」
「わしは何も変わっておらん。スミーの技も盗めていない。それに、力もこの通りだ」
「デモ ゴジラ 倒シタ! オマエ 王ニ ナレル!」
「わしはやっぱり、王にならなくていい。それに、わし一人じゃ戦えなかった。メガヤシャオーの開発が間に合ったのも、火薬を詰め込めたのも、みんなが時間を稼いでくれたからだ」
「ヤシャオー ドノ鬼ヨリ ツヨイゾ?」
「しょせん、借り物の力だ。わしの力じゃない。それに、力が必要なら誰かに借りればいい。誰かが知恵を必要としてたなら、わしが貸そう。王などいなくても、鬼たちはやっていける。そう確信したんだ」
「オマエ 王ノ心アル ソレダケ忘レルナ」
温羅は、そう言うと満足そうに腰を下ろした。眼下では鬼ヶ島の修復が、始まっていた。あの激戦の後でも、既に島は動いている。この鬼たちの力があれば、どんな困難も乗り越えられる。そう思った。