前回に引き続き、今回は鬼ノ城を巡っていきましょう。
前回の記事は
こちらです。
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ここから先は結構な急坂。転ばぬ先の杖。
こんな感じで森の中を入っていきます。
道は結構しっかりしてます。
急な坂が苦手なら、緩やかな遊歩道もあったりなかったり…。
途中に展望デッキがあります。行ってみましょう。
森を抜けると……
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鬼ノ城・西門です。
盾の絵柄は、同時代の別のものをモチーフにしているそうです。
絵柄が見やすいよう敢えて外側に設置しているとか。
ちなみに引くとこんな感じ。
ただあの距離・あの大きさの岩(前回の矢喰の岩)を投げるとなると……。
この距離だとひとたまりもありませんね。
投擲岩巨人ー! 自軍全滅ー! やばい。
西門、外側から内側を臨む。
西門、内側から。
残念ながら中には入れません。
西門、側面より。
山城であることがわかる……といいなぁ。
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さて、ではどんどん進んでいきましょう。
敷石。日本の古代山城で敷石があるのはここだけだとかなんとか。
少し下った場所から西門を望む。
このあたりの展望はなかなかに良いです。
ちなみに、この中に前回訪れた矢喰の岩があります。
…この写真だけでわかったら正直凄いと思います。
岩見えないし。
ヒントはポプラ。
余談ですが、その矢喰の岩の近く。
あの雪舟が生まれた地があります。
この写真の中にも映っている…筈ですが、
正直よくわかりません。(r
第一水門。
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20分(個人差あり、以下同様)ほど歩いて、
南門に到着しました。
こちらは復元がまだまだ、といった感じですね。
規模は西門とほぼ同様のようですが……。
まぁ、ここまで来る道が、資材や機材を運ぶには大変な道なので、
仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。
少し斜めから。
門よりも、門の先どうするかが大変そう。ってかここに門築いたってことは、昔はこの先に道があった、ってことですよね……。
南門近くにこんなものが。
なお、持ち帰りは厳禁です。取って食べるのもダメです。
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鍛冶工房跡です。
温羅一族は優れた製鉄技術を持っており、
その優れた技術で作られた農具等が、麓にある交流の合った阿曽の集落にもあったとか……。
この下の岩の間を歩いて行ったりします。
向こうの方に見えるのは、
鬼ノ城屏風折れです。
その屏風折れの近く、なんか石碑がありました。
GoogleMapで「温羅遺跡」とされてるのはこのあたりっぽい?
写真のタイムスタンプを見ると、ここまで1時間くらい掛かってるようです。
正直足がやばい。汗がやばい。
普段の運動不足が祟ったようです……。
また、温羅が討伐されてしばらく後、この地には山上仏教が栄えたとか。
近くには岩に掘られた岩切観音があったりするのですが、
温羅伝説とは関係ない(と思われる)ので今回はスルー。
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また大分歩いて、
北門までやってきました。
唯一、裏側にある門です。
向こうは山、山、山……。
この北門は向こう側に道が続いています。
行きつく先は麓……ではなく、さらなる山の中です。
今回は行きません。外周グルっとするのが目的ですので。
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持ってきた水分(1.5L)は底をつき、服は汗でびしょびしょ……
あっ、これは、西門!!
ハイキングコースにはいいのかもしれませんが、運動不足の人には正直きつい!
というわけで、鬼ノ城外周はこれにて終了。
でもこの記事はまだ続きます。
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脚もかなり限界でしたが、ここは行っておかなきゃな、ってことで、
先ほどのビジターセンターから車でもう少し奥に行き、
岩屋エリアにやってきました。
こちらにも様々な石仏がありますが、やっぱりするー。
このような道を進んでいき……。
この石の階段を昇っていくと……。
鬼の差し上げ岩です。
この上に乗っている巨大な石、伝説では温羅が差し上げた、と言われているそうです。
…まぁ、あんな巨大な岩をあんな距離投げる人ですから、この程度の岩をここに載せる位、造作もないことかもしれませんね。
で、温羅自身がこの中を住処にしていたとか。
…温羅さんの体格がよくわかりません。
では、最後に差し上げ岩を別角度から。
バランスよく載ってますね……。
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というわけで、今回はここまで。
足場がぬかるんでいてあまり良くなく、また雨の降る可能性を感じたため、早めに下山することにしました。
このエリアには、「鬼の○○岩」みたいな、温羅伝説を感じさせるものがほかにもいくつかあり、
折角なら行ってみたかったのですが、無理は禁物。
この記事が好評なら、またいつか行くかもしれません。
というわけで帰り際にWLWを2プレイほどして家路につきましたとさ。